2015/12/23 18:01

年の暮れ、2015年から2016年へと顔を出す季節がやってまいりました。
新年思いも新たにこの機会に託つけて、今回はhinaReu作品の大きなテーマ"新鮮な哀愁"について少々語らせて頂きます。

新鮮な哀愁
さて、作者であるhinaReu-ヒナレゥ-こと私が皆様に向けて掲げている「新鮮な哀愁」という作品テーマ。
一見すると矛盾した単語の並びでしょう。しかし、人の多くが一度は感ずる感情であるはず。
初めて見る物、形、風景であるのに何故か懐かしく少し寂しい気持ちになる作品。
新しい物を生むアート作品はすべて唯一無二です。そこに感じる懐かしさ。
アートが生む懐かしさは「新鮮な哀愁」と言えます。

と、まあ難しく言ってみたものの
”心振るわせる「哀愁」の中にも小さな驚きと技術を盛り込む”事がこのテーマに思い込めた意味です。

哀愁の始り
では、何故ヒナレゥは「哀愁」にこれほどまでに惚れ込んでいるのか、ご興味有る方はよろしく傾聴下さい。
この言葉の始りは美術ではなく文学まで遡ります。

本を読むのは人並みですが、様々な詩や小説の中から、哀愁を感じ取れる物がどうしても好きでした。
旅をして渡り歩いた人々の作品は特に哀愁が深く、心地良く、短い詩でさえ何度読み返しても飽きないものでした。私自身、独りで遠くへ出る時や異国へ滞在した時には愛読します。ホームシックという言葉があるように、人にとって生まれたり育ったりした故郷は忘れがたいものだと深く感じました。
そして、しだいには哀愁的な読み物を選び、その感じ取ったものは現在のヒナレゥ作品の基盤となりました。
”基盤”と言えば覆い隠された地面にすぎませんが、稀に読み物のイメージを作品へ直接落とし込むこともあります。
では、「もっと早く言いなさい」と思われるかもしれませんが、そちらを幾つか紹介させて頂きます。

哀愁の始り
私の本棚の中で最も哀愁を歌った物書きはドイツの詩人ヘルマン・ヘッセ(Hermann Hesse)でしょう。ヘッセ作品では、エーミール君のクジャクヤママユを壊してしまう『少年の日の思い出』は日本でも有名かと思います。
彼は数々の旅の中で"郷愁"をよく書いています。何を読むかにもよりますが、私は彼の詩を読んでセピア色のイメージを受けます。


写真:ヘルマンヘッセをイメージした作品でもある雑貨作品『蝶々帳 (MorgenVogel)』

彼は蝶の収集家で蝶をテーマとした詩も多く、蝶や蛾が登場する詩だけを集めた詩集も出版されたりしました。シジミ蝶やモンキ蝶といった小柄で可憐な蝶から、クジャクヤママユは勿論のことオオムラサキやアポロなど煌びやかな蝶まで様々な羽虫を彼は詩にしました。




もちろん本棚を探れば、他の哀愁的な作品も見当たります。『銀河鉄道の夜』といえば誰もがすぐに彼の名前を呼びます。宮沢賢治も私が愛する哀愁を書いた一人です。他にも有名な作品では『注文の多い料理店』『ヨダカの星』...挙げれば切りがないですが、彼も旅の中、人生の中で多くの詩を残しています。『銀河鉄道の夜』や『グスコーブドリの伝記』が映像化された事もあり、彼の作品に対し多くの人が似たイメージを抱えるようになったのではないでしょうか。

やはり、彼の作品へのイメージと言えば星々が青く無数に光る夜空など、青色が象徴的です。

以外にも、先生と呼ばれ農業を営んでいた頃の詩には草木の輝く水々しい夏の緑、故郷青森を歌った詩からは「巨きな水素のりんごのなかを—」の一節から連想できるような仄かな青、また病状の妹に向けた詩『永訣の朝』には冷たいミゾレの染みるような白さ、多くの色を彼の生涯から連想させられます。

hinaReu作品「飾り窓」シリーズはそんな彼の詩々の中から汲み取った幾つもの色がコンセプトに繋がってます。


飾り窓の色名「窓景色」は水々しい夏の"緑"、「海景色」は水素の中の仄かな"青"、「冬景色」は死を悼み染みる"無色"

この3色がそれに当たります。



こちらの作品は、詩が記された台紙"風景の詩"を使ったパッケージだというところなど、記憶による情景の具現化がコンセプトとなっています。



これで、hinaReuの哀愁の概念が何処から来たものかご理解頂けたでしょうか。

私の作品が少々ダークな雰囲気なのも此れまた"文学"に由来するのですが、そちらはまた別の機会に。

ここまでお読み下さり有難う御座いました。それでは、皆様、好い一年を。